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2009年6月

2009年6月24日 (水)

東洋的

鈴木大拙『東洋的な見方』(岩波文庫)を読了しました。難しいけれど、所々に唸りたくなる言葉があります。今回はそれを引用してみます
「自由意志などいうので生まれでたものは一人もいないのである。みな与えられたものを受け入れるだけである」
「美は単なる美ではなくて、霊性的要素から出たものでなくてはならぬのである」
「西洋人は人間を自然性化する。東洋人は自然を人間性化する」
「自由はその字のごとく「自」が主になっている。抑圧も牽制もなにもない「自ら」または「自ら」出てくるので、他から手の出しようがないとの義である」
「人間の自由はない。人間は煩悩に責められる娑婆にながらえて、「不自由」のなかに、自由自立のはたらきをしたいのだ。ここに人間の価値がある」
「人間の考えというものは、二つのものが相対していないと出てこないのである」
「西洋の人々は、物が二つに分かれてからの世界に腰をすえて、それから物事を考える。東洋は大体にこれに反して、物のまだ二分しないところから、考えはじめる」

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2009年6月21日 (日)

暗誦

モンゴメリ著・中村佐喜子訳『赤毛のアン』(角川文庫)を読みました。女の子たちの永遠のベストセラーです。「私の好きな本」みたいなアンケートでは必ず入りますよね。で、読んだことがなかったのでブックオフで見つけて手に取ったわけです。このお話は、考えてみれば設定がユニークですよね。子どものいない老兄弟(老夫婦ではないところが?なんです)が孤児を引き取り、それが男の子だと思ったら女の子だった・・・。ストーリーはアンの成長が読者を引きつけます。が、私が最も興味深かったのはこの当時のカナダの学校であるいは生活の中で「暗誦」が非常に重視されているという教育風土です。授業でも遊んでいるときもたびたびアンたちの暗誦のシーンが出てきますし、音楽コンサートのプログラムに必ず暗誦・朗読が入っているんです。このころのアメリカ・カナダ、ヨーロッパの国語教育に関心が湧いていました。

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2009年6月14日 (日)

自由と個性と社会

J・S・ミル『自由論』(岩波文庫)を読みました。読みにくい文章です。長い文を最後まで追わないと結論がわかりません。ところで、ミルがこの著書で扱っているのは「意志の自由ではなくて、市民的自由、または社会的自由」です。当然、他人を侵害する行為に自由はありません。制限されます。しかし、それでも社会が個人の自由を制限することに対して限界というものを明確にすべきなのは、その社会がよりよく発展するためなのです。これは意見の自由についても行為の自由についても言えることで、個性が発揮されなければ社会の進歩発展がないからなんです。つまり、社会があっての個人なのであってその逆ではないのですね。ここのところは原理的にとても重要です。よくある議論ではここがすっかり忘れられているように感じます。

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2009年6月 7日 (日)

紳士教育

ロック著・服部知文訳『教育に関する考察』(岩波文庫)を読了。この本は思い出があります。大学1年の時です。ある授業で担当教官が各自に一冊、教育の古典を割り当て、授業でレポートするように、という課題を出したんです。で、私はこのロックの教育論の担当になったのです。今読んでみると、やはりまるで内容を覚えていませんでした。ちっとも面白くなかったという記憶はあるんですが・・・。この著作はいわば古い教育への批判であり、新しい紳士教育の解説書という性格の本です。イギリスの紳士教育とは言いながら現状の問題点にそのまま当てはまる内容ですね。いわゆる学習よりも紳士としての躾をなによりも重視するように・・・と指摘しています。

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2009年6月 6日 (土)

道三②

司馬遼太郎『国盗り物語(二)』(新潮文庫)を読みました。斎藤道三はとにか奇想天外で面白い。もちろん小説の中の人物であることはわかっていますが、これが実在した人物とは思えません。一介の村人から坊主になり、油商人を経て美濃へ流れ、そこから守護大名を追い出して領主へと転身していくさまは「戦国」の世の魅力を一人で体現していると言えましょう。堺屋太一だったと思いますが、戦国武将のスケールの大きさは幕末の志士など足下にも及ばない・・・と言っています。僧と商人を経験しているところが道三をただの強い武将ではなく革命家ならしめているところでしょう。当時の腐敗しきった時代状況を「壊したい」という強い動機があったということでしょうね。

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