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2009年8月

2009年8月31日 (月)

雨・風・谷

天沢退二郎『宮沢賢治の彼方へ』(ちくま学芸文庫)を読みました。難解です。著者は研究者でもありますが詩人です。氏は、ふつう私たちが使う言葉とは違う言葉で賢治の思想を語ろうとしています。難しいのですが、同時に言葉の面白さや深さを感じることはできます。言葉への感覚の鋭さのようなものは、さすがだなあと思います。とくに、賢治が「雨」などの天から降り注ぐものに対して持っていた恐怖感、「風」による異世界への道程、「谷」の奥への異世界イメージなど・・・一つの言葉への深遠な感覚を感じることができました。また、違う読み方ができそうです。

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2009年8月30日 (日)

唯言論

丸山圭三郎『言葉とは何か』(ちくjま学芸文庫)を読みました。たいへんわかりやすいソシュール言語学の入門書です。ソシュールの思想を一言で表すならば「唯言論」と言ってよいでしょう。虹は何色か?という言葉と事物の関係のエピソードで導入してランガージュ、ラング、パロールなどの難しい言葉をわかりやすく説明してくれます。著者はわかりやすい文章を書く天才かもしれません。わかりやすい文章のポイントは平易な言葉への置き換えとわかりやすい具体例を示すことですね。ソシュール言語学は言語だけでなく、現代思想の重要なキーになる概念を提出しているようです。もうちょっと読んでみたいと思います。

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2009年8月27日 (木)

音読から黙読へ

前田愛『近代読者の成立』(岩波現代文庫)を読みました。まるで歴史の本です。江戸時代後期から明治、大正、昭和初期まで「読者」をテーマにして各期を分析しています。文壇と呼ばれるものに加えて、文学が大衆化することで読者が文学の分析対象へなっていく過程がわかります。とくに、「音読から黙読へ」が一番面白い。論旨は外山滋比古氏と同じですが、これを日本の場合に当てはめて分析しています。前田氏は明治以降の口話コミュニケイションと文字コミュニケイションの混在期の音読には2つの意味があったと言います。一つは家族ぐるみの共同的読書の場、もう一つは当時の書生などに見られた精神的共同体の享受の場です。声に出すことには伝達範囲拡大作用と心理的集中作用の両面が起こるのだと思いました。

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2009年8月24日 (月)

自己犠牲の混乱

千葉一幹『『銀河鉄道の夜』しあわせさがし』(みすず書房)を読了しました。この本は3章構成になっています。この中で「第1章神なき世界へ」と「第2章友だちって何?」は面白い!超人と俗人、欲望と愛をキーワードに読み解いていて勉強になりました。そして、大いに参考になりました。が、「第3章自己犠牲」の稿になると突然、論旨が大混乱に陥ります。第2章までは理路整然と自信に満ちた評論をしていた著者が自信喪失状態なんです。自己犠牲は素晴らしいことなのだがと言葉を濁し、これをこのまま認めるとファシズムになるんだ、と無理矢理自己否定しようとして右往左往するんです。読んでいて可哀想なくらい・・・。で、なんと最後は<自己犠牲による恩恵を受けた者は生の価値に気づき、それを受け継ぐ>と「自己犠牲」の価値を認めているんです。著者は結局、否定しきれずに「否定したんだ」と思い込んもうとしているわけですね。現代インテリゲンチャアの心理を垣間見たような気がします。

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2009年8月23日 (日)

線路と枕木の材料

畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』(文春文庫)を読みました。著者は熱狂的な賢治ファンなのでしょうね。この本は「磯野家の謎」や「ウルトラマン研究序説」などと同じ類のものです。例えば、銀河鉄道の動力は何か?線路や枕木の材料は(著者の推理によれば枕木は雲で作られている)?車両は何両か?ジョバンニとカンパネルラは何号車の何番の座席に座ったか?・・・・というような課題を設定して賢治の関連著作から推理するというわけです。賢治ファンにはたまらなく面白いのでしょうが、私はやや楽しんだという程度です。こういう本を書く人がいて、それを買う人がいるほど賢治の人気は高いということですね。

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2009年8月20日 (木)

近代読者の誕生

外山滋比古『近代読者論』(みすず書房)を読了。久しぶりに知的興奮のある本でした。「読者」をテーマにした試論集です。私たちは本を読むというと一人で黙って読む姿を思い浮かべますがこれはかなり新しいことで、少なくともイギリスの15世紀以前は本を読むというとそれは大きな声で音読することだったのだそうです。「読む」という動詞はそもそもどこの国においても音読を意味していたらしいんです。例えば、吟遊詩人のような存在がクローズアップされます。共同社会で読むという行為が自分のために読む行為へと変化する・・・これが近代読者の誕生です。なお、黙読も声帯が小さな運動をしていて完全に音と絶縁した読みはできないらしいですよ。

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2009年8月19日 (水)

孤独と幸い

鎌田東二『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)を読みました。まず、賢治のこの代表作が3回も推敲されていて最終形が第4次稿であるというのを知り、興味深く思いました。賢治ファンは知っていることなんでしょうが、けっこう内容が大きく変更されているんですよね。著者もこの変更点を分析の大きな手がかりにしています。確かに、最終稿に比べて1~3稿は浅いというかわかりやすいというか・・・なんです。読み比べると明らかに最終稿がいいです。この物語のキーワードは孤独と幸いです。主人公ジョバンニの孤独との戦い、そして幸いを目的とした自立のつらさです。

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2009年8月16日 (日)

ロラン・バルト

ロラン・バルト 花輪光訳『文学の記号学』(みすず書房)を読みました。全部で100ページぐらいの薄い本なので、こりゃいいやと・・・手にとって読んだのが運の尽きでした。何を言っているのかわかりません。言語や文学について語っているのはわかります。が、後はよくわかりません。哲学者というのは新しい概念を作ろうとするわけですから、それをわかりやすく説明するのは難しいのでしょうね。この本は長い解説がついているんですが、それを読んでますますわからなくなりました。

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2009年8月15日 (土)

方言とオノマトペ

井上寿彦『賢治 イーハトヴ童話 「法華文学」の結実』(青柿社)を読了。なかなか面白い賢治の研究書でした。オノマトペは賢治童話の特徴の一つですが、これはどうやら岩手、東北の方言とかなり強い関係があるようです。よく出てくる「のんのん」「うるうる」などは方言にあるんです。また、氏は賢治童話と昔話の関係を探ることで賢治の作品を3つに分類してその変遷を辿っています。3つとはA型:異世界の物語(動物等が主人公で人は登場しない)、B型:異世界と人の交流物語(人が異世界へ行ったり、異世界のものが人の世界へやってくる)、C型:人の物語(人が主人公)・・・です。

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〈読み〉の問題

田近旬一『読み手を育てる 読者論から読者行為論へ』(明治図書)を読みました。倉澤氏のものを読んでも、前の中村氏のものを読んでも思うのですが、〈読み〉の問題はいつの時代でも「作品正解主義」と「読者自由主義」の両極の間を行ったり来たりしているようです。田近氏はこのへんをうまく整理してわかりやすく説明してくれていますし、誰もが納得できる見解を示しています。氏は、「読み手の反応と作品分析の相関関係を強めることが〈読み〉の指導の基本路線」であり、「限りなく実像(作品)に近づこうとする読み手の営みが多様にして独自な虚像(作品の読み)を作り上げる」と言っています。

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2009年8月11日 (火)

倉澤栄吉⑤

『倉澤栄吉国語教育全集7 主体的な読み手を育てる読解指導』(角川書店)を読みました。著者が強調しているのは、第一に作品に向かわせること、第二にそのためには文字や語句を読むのではない文章を読むのだ、という当たり前のようなことです。が、考えてみるといまだに語句をにこだわって文章から離れてしまう枝葉末節な授業を見ます(先日、筑波大付属小で見た全国国語授業研究会での説明文の授業がそうでした)。これは今でも十分に反省すべき永遠のポイントなのかもしれません。その他、作品の後ろから読んでみよう、などの提案も同じ上記の研究会で誰かが提案しているのを資料で見ました。これって倉澤氏からヒントを得ているのか?、それとも50年前に提案されていたことを「最新」と思って、いま提案しているのか?どちらなのでしょう。

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2009年8月 9日 (日)

賢治教

山下聖美『』賢治文学 「呪い」の構造』(三修社)を一気読みでした。賢治への興味を駆り立ててくれる入門書といった感じの本です。内容は、いつの間にか巨大化してしまった「賢治」はどうにでも解釈できる便利な「思想」になってしまったのでは・・・「賢治教」になってませんか?という主旨のものです。確かに、表に出てくるのは彼の美しいものばかり(意図的にあるいは偶然に美しく解釈されてしまった?)ですよね。この本を読んで、じつは賢治には隠されたものがこんなにあるとは知りませんでした。ますます「賢治」は面白くなりそうです。

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2009年8月 8日 (土)

まいにちひらがなしんぶん

小池清治『日本語は悪魔の言語か?ーことばに関する十の話』(角川oneテーマ21)を読みました。興味深い日本語のうんちくが目白押しです。知ってましたか?・・・前島密は漢字廃止論をまじめに推し進めようとして「まいにちひらがなしんぶん」を発行して失敗した・・・係り結びの消滅は鎌倉武士の言葉が京都へ大量に流入したことによる変化が一つの原因である・・・挨拶語はその出自が関西弁である。関東の言葉は汚いし、無礼なのですよ・・・日本語は擬声語と擬態語が異常に多い・・・などなど。面白いし、知的興奮があります。

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倉澤栄吉④

『倉澤栄吉国語教育全集10 はなしことばによる人間形成』(角川書店)を読みました。タイトル通り、氏は「話す・聞く」の指導は技能だけでなく人間形成を重要な目的にして行われるべしと強く主張しています。確かに、もろに身近なコミュニケーションに関わる領域なので、それはそうでしょう。とくに、氏は「対話」という概念を機能的に分析して面白い論を提出しています。例えば、独話も「内的対話」と考えられるし、「会話」も対話が変形して無秩序に言葉がとびかう状況と考えられるというのです。で、「対話」の指導を重視しています。もしかしたら、筑波大附属小の二瓶氏の「ペア対話」の実践ははこの倉澤理論をもとにしているのでしょうか?

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自由間接話法

中村哲也『「出口」論争「冬景色」論争を再考する』(明治図書)を読みました。何気なく手にとって読み始めたら、やめられなくなりました。それぞれの論争の経過を辿り、その意義を角にするだけでなく、自由間接話法という概念でこの論争の問題点をクリアにしようという試みです。この話法という概念で視点論に寄りかかりがちな教材文の研究に新たな展開を期待できるという感じです。ただ、この話法はなかなか難しいですね。直接話法と間接話法は理解しやすいのですが・・・。その他、物語論とか叙法とか今まで知らなかった用語がいろいろ出てきます。面白そうです。こうした文法学?解釈学?みたいなものも日々、進化しているんですね。

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2009年8月 7日 (金)

美登利と信如

『ビギナーズクラシックス近代文学編 一葉の「たけくらべ」』(角川ソフィア文庫)を読了です。この作品は何度か読もうとして挫折してます。ご存じのように、文語で書かれているので意味がよくわからなくなるんです。が、現代語訳と対になっているこのシリーズは便利です。おまけに要所要所に解説もあるのでよくわかります。主役は美登利さんと信如ということになるのでしょうか?正太郎さんや長助はどう考えても脇役でしょう。2人の淡い初恋のお話です。あまりにも淡くて純粋で美しいですね。が、この美しい話を際だたせているのが物語の背景でしょう。その設定がうまいです。解説には著者・樋口一葉は古典の素養がかなりのものであると書かれていましたが、もしかしてシェークスピアなんかも読んでいたのでしょうか?

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2009年8月 4日 (火)

春はあけぼの

『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 枕草子』(角川ソフィア文庫)を読みました。今から1000年近く前でも人間は同じようなことで悩み、同じようなことで愉快になったり、不愉快になったりしていたのですね。現代の我々とこのへんの感覚はまったく同じです。が、この当時の特有の慣習やものの考え方なども当然あるわけで、そのへんは解説されないとまったく理解できません。印象に残ったのは「きれい」「かわいい」に類する言葉が当時は今よりも豊富だったということです。「清ら」「清げ」(この2つは身分によって使い分けられる)、「麗し」「美し」「らうたし」「なまめかし」「あて」「艶」「にほひ」・・・・。

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2009年8月 3日 (月)

PISA型読解

有元秀文『「PISA型読解力」が育つ七つの授業改革』(明治図書)を読了。これって薄い本なんです。図書館で見つけて手に取ったら一気に読んでしまいました。PISA型読解力と日本型読解力の違いがはっきりと理解できました。日本型は読解のみ。しかも正確に読んで正確に再現することが求められます。PISA型は読解力+表現力なんです。正確に読んだらそこから自分の考えを表現しなければなりません。さらに、日本に特に欠けているのがクリティカル・リーディング・・・つまり、批判的読みです。これは日本人は苦手ですよね。というよりも、日本の学校教育が最も避けて通ってきた分野でしょう。日本の場合、批判は人格攻撃とストレートに結びついてしまう悪しき習慣があります。でも、ここを打ち破らないと前進はありません。

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倉澤栄吉③

『倉澤栄吉国語教育著作集3 国語学習指導の本義』(角川書店)を読了。ハイペースで読みました。驚いたのは「国語の指導」というパートです。国語学習のアイデアをなんと100も並べているんです。そこには私でも知っているものが散見され、「ここが元ネタだったのか」というものもあり、小さな発見でしたね。なお、この巻は「学習」とは何か?みたいな本質的なことを勉強するいい機会になりました。氏は言います。「学習とは経験尊重による教科内容の習得である」。

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倉澤栄吉②

『倉澤栄吉国語教育全集2 国語教育の基本問題』(角川書店)を読みました。全集の2巻目です。戦後すぐの教育界でどんなことが問題にxなっていたのかがわかります。それにしても、今とほとんど同じことが問題になっているんですよ。不謹慎ですが笑えます。いわく教師力問題、いわく低学力問題・・・まったく同じなんです。ほとんど進歩がない世界なんだと悲しくなりますね。この巻を読んでいて、倉澤氏は非常にまじめで精力的、しかも実践的な方であることがわかります。もとは中学校の国語の先生ですから。が、しかしそれでもあまりに現場に対して高度なことを要求しているような印象を持ちます。

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2009年8月 2日 (日)

鞍馬山

先週30日、いつものパターンですが深夜高速バスで京都へ行きました。翌31日の早朝5:50に京都駅前に到着。今回の目的は鞍馬山です。京阪電車で出町柳へ行き、そこから、田舎情緒たっぷりの叡山電車で鞍馬山へ。途中、かわいい保育園児たちの登園風景に出会い、癒されました。この叡山電車がそのまま園バスならぬ園電車なんです。鞍馬駅を降りてすぐ鞍馬寺です。鞍馬寺山門→由岐神社(樹齢800年の杉がスゴイ)→九十九折りの坂(枕草子にも出てきます)→金堂→与謝野晶子歌碑・宅(移築)→義経背比べ石(かなり小さいです)→不動堂・義経堂(ここは毎晩、牛若丸が天狗と修行をした場所です。雰囲気あります)→木の根道→奥の院魔王堂(聴いているとなにやら風変わりな読経が聞こえてきました)→ゴールの貴船へ。山道を約2時間で縦断踏破しました。気持ちのいい風とさわやかな森林で疲れはあまり感じませんでした。さて、貴船からバスで再び叡山電車の貴船口へ。そこからもう一度鞍馬山駅へ一駅乗車してスタート地点に戻りました。駅前から送迎バスでくらま温泉の露天風呂へ。いいお湯でした。市内へ戻って、春に見逃した廬山寺へ行きました。ここは紫式部の自宅だったところです。庭の桔梗が素晴らしいお寺でした。夕方17:02ののぞみで新横浜へ。車中のビールがうまかった。

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